しばらくブログの更新をしてませんでしたが、その理由について、長くなるかも
しれませんが、ここでお話したいと思います。
かなり個人的な感情の揺れ動きを吐露することになるかもしれませんが、
それも、どうぞお許しください。
結論から言うと、またひとり、おなじ治療をした仲間の方が亡くなってしまい
ました。その方を心配していたことで、しばらくは更新をする気持ちが
ありませんでした。
Hさんとは、私がGVHDによる肺炎で再入院した、ちょうど1年ほど前の時期、
2004年11月に、おなじ病室で出会いました。
しばらくブログの更新をしてませんでしたが、その理由について、長くなるかも
しれませんが、ここでお話したいと思います。
かなり個人的な感情の揺れ動きを吐露することになるかもしれませんが、
それも、どうぞお許しください。
結論から言うと、またひとり、おなじ治療をした仲間の方が亡くなってしまい
ました。その方を心配していたことで、しばらくは更新をする気持ちが
ありませんでした。
Hさんとは、私がGVHDによる肺炎で再入院した、ちょうど1年ほど前の時期、
2004年11月に、おなじ病室で出会いました。
Hさんは、白血病ではなかったのですが、やはり血液の疾患で、10年以上
苦労してきたとのこと。それで、今回、骨髄移植に踏み切るということで、
2月の移植を前に、検査ともろもろの治療、ということで入院していて同じ病室
になりました。
年齢は私より上の30代の方でしたが、おだやかで、のほほんとした、おっとりした
方です。性格のせいでしょうか、長年、血液疾患で苦しめられているにも関わらず、
愚痴やつらそうなことは一切言わない、ということにまず最初に驚かされました。
入院中は、ベッドが隣り同士だったこともあり、食事を一緒にとったり、私の調子が
よくなったときに、東大構内を散歩したりしていました。ちょうど今と同じように、
葉っぱがかすかに色づきはじめたころのことです・・・今でも鮮明に覚えているん
だけどなぁ。
今年2月に骨髄移植を受けて、(無菌室にいるときにはお見舞いはできませんが)
個室に移ったあたりで、行ける時に病室にお見舞いに行く、ということを続けて
きました。
大部屋に移ってきた当初、とても調子がよさそうで、むしろ私よりも移植前後に
痛みで苦しむこともなく、スムーズに移植を乗り越えたようにも見えました。
そのままスムーズに退院、という形になれればよかったのですが、そう簡単には
進みませんでした。体内にあるウィルスの感染、GVHD、などの症状で、長いこと
入院生活を強いられてしまいました。
その間、お見舞いにいける時には行って、本を差し入れたり、ちょっとしたおしゃべり
をしたりして、ちょっとでも気分転換、励ましになればと思ってました。
励ますにしても自分は具体的な症状のどこかどれくらいよくないかとか分からないので、
無責任に「大丈夫ですよ!」なんて言えないのが辛いところでしたが。
そんな状態が夏からずっと続いて、心配する気持ちが一気に加速したのが、10月に
入ってからでした。
頻繁ではないにしても、携帯メールでときどき「調子はどうですか?」的なメールを
やり取りしていたのですが、10月初旬に送ったメールに返事がなく、退院したらきっと
メールをくださると思っていたので、10月中旬の外来で病院に行った際、思い切って
病室にお見舞いに行ってみました。
そこでお会いしたHさんは、随分と弱ってしまっていました。
具体的には言いませんが、私が会って、その姿でショックを受けるのに十分なほど。
それでも、呼吸がつらそうな中でも、「(お見舞いに来てくれて)ごめんなさいね〜」
と懸命に話をしてくれて、あわてて「苦しいのだから、話しないでください!」って制して
自分なりに思いつくことをいろいろ話しました。
いつものことですが、お見舞いに行ったときに話をして、どこどこの数字が良くなった
とか、食事ができるようになったとか、少しでもポジティブな要素を探し出して、
その点からちょっとでも良い方向になるようにいいですね、っていう話をしてきたんです。
しかしその日は、正直な話、それがすごく難しかった。
でも、絶対にそこから少しずつでも良くなってもらいたい、って思ったし、その気持ちを
伝えるのが精一杯でしたけど、言葉にして伝えて、帰って来ました。
それから次に病院に行くまでの2週間、もちろん自宅では普通に過ごしてきたけれど、
心の中で一日一回は必ずHさんがどうかな、少しでも良くなったかな、悪くなったかな、
ということを考えて過ごしてきました。
この流れの中で、ブログの更新を一時期ストップしていました。
10月末に行った東大病院の外来で、再び病棟を訪れました。
行く途中、車を運転しながら、今までないくらい、緊張をしていました。
もちろん、最悪の結果を聞くことになることも覚悟していたから。
そして、看護師長さんに、Hさんが亡くなってしまったことを教えてもらいました。
最後の、具体的な様子については、もちろんプライバシーの問題もあるので
詳しく教えてもらうわけにはいかないのですが、大きなショックだったのは、
私がお見舞いに行った翌日の早朝に、Hさんは亡くなった、という事実でした。
苦しい中でもなんとかまだ話をすることはできたし、テレビも見ていた様子を知っていたの
で、あの時から1日も経たずに、と思うと信じられない気持ちと、悲しい気持ちと、
いろんな気持ちが一度にどどっと押し寄せてきたかのようでした。
それから、やはり悔しい気持ち。
血液の病気がなければ、もっと良い薬があれば、移植の負担がこれほどまでに
大きくなければ・・・・自分も含めてこんな思いをする人はもっと少なくて済むかも
しれない。
ごく自然に、「自分が医者だったらなぁ」って思っていました。
妻もHさんを知っているので、Hさんを心配するのと同時に、Hさんを心配する私のことを
心配してくれていました。病棟を後にして外のベンチでボーっと座っていると、
携帯電話に電話をくれました。
こうやって、支えてくれる人のおかげで、なんとか普通に元気にしていられます。
生きる。死ぬ。っていうことを考えたり、肌で感じる1ヶ月間だったかもしれません。
客観的に見ると、自分よりも条件の整っている状態で骨髄移植を実施した方が、
残念ながら亡くなってしまう、というのをいくつか見てきました。
だから、いま自分が元気に回復途上にあることは、ひとつには本当に、何かに
恵まれている、としか言いようがないし、いろんなことに感謝しています。
理由なんて、わかりません。
生きることと、死ぬことは、紙一重。
でも少なくとも、生きていれば、なにかができるわけで、
大きなことは言いませんが、自分自身、そして家族、身近な存在を大切にして、
少しずつでも幸せを積み重ねられるよう、生きて行こうと思っています。
そうそう、HさんはノートPCを持ち込んでPHSでネットを見ていたので、URLを教え
たら、このブログをちょこちょこと読んでくれていました。
そうか、一人読者を失ったことにもなるんだ・・・
Hさん、長い闘い、お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
ご冥福を、本当に心から、お祈りいたします。