2005年02月27日

9月の盛岡

kaminohashi9月に入り、外来の間隔が2週間に1度と開いたところで、免疫抑制剤の減量も順調に進んでおり、また体調もなかなかよいということで、先生にも相談の上で、薬もしっかり準備して、私の故郷である盛岡に、家族3人で行くことにしました。

 

 

 

 

 

まだまだ東京は暑い日が続いていたので、少しは避暑的な意味合いも兼ねて
いました。実際、お盆を過ぎた盛岡は、朝晩がひんやりすることが多くて
過ごしやすい気候でした。

 

病気が分かったときに「また盛岡の地に立つことができるだろうか?」と
いう思いが一瞬よぎったことを、新幹線が盛岡駅に到着するころ思い出し、
でもがんばってここまで来たんだーやったなーという感じで感慨に少し
浸っていました。

 

 

実家には、夏休みで帰省中の弟もいて、ドナーになってくれた妹は仕事が
忙しく実家になかなか顔を出せないまでも、普段は両親二人だけの実家が
孫娘も加わってにぎやかになってました。両親はおおげさには表さないけど、
盛岡に来ることができるくらい元気になった回復振りをとても喜んでくれて
いたと思います。

ちょっとほほえましかったのが、父が母に内緒で買ったという、ニコンD70。
きっと、初孫である私と妻の娘が盛岡にやってくる、ってんで張り切って
準備したんだな、と思って。実際、すんごい枚数を撮りまくってたし、私と
妻もちょっと近くに散歩行くのにも借りてばしゃばしゃ撮ってました。
自分でも欲しかったものだから、先を越されてちょっと悔しかったりして。

盛岡には数日滞在しましたが、その間、夏休みも終わりのんびりとした雰囲気の
小岩井農場や、安比高原や、盛岡市街をぶらぶらすることができました。
特に、妻を連れて行きたかった、あっさりラーメンの中河。連れてくよと
何度も言っていただけに、ようやく連れて行けてよかった。それから、入院
中に朝の情報番組で紹介されていてチェックしていた点心伍十伍番という
中華まんのお店で、おおきな肉まんを食べて満足、満足。
どちらも盛岡中心部を流れる中津川の上の橋のそばにあります。
この上の橋は、壬生義士伝の主人公、吉村貫一郎が脱藩するときに渡った、
みたいな説明板が橋のたもとに立ってました。というわけで、歴史のある上の橋
で撮った写真を載せちゃいます。

ちなみに、この中津川の河原には、高校入学直後にやらされる土人踊りで装着する
腰みのを作るために草をむしりに来た思い出があります。土人踊りという名称は
問題があるということで、猛者踊りに変わりましたが、いまでも毎年春には
盛岡市内を練り歩いているんでしょうか?

そして、上の橋を渡った紺屋町(むかし、染物やさんが並んでいたという界隈)
には、小学生の頃からその存在が憧れだった珈琲屋さんの「クラムボン」が
あります。昔は別の場所のバス通り沿いにあって、一度いきたくてでも小さい
からいけなかったお店。大きくなってからとうとう行くことができて、味のある
ご主人とお話ができて嬉しかった思い入れのあるお店です。お店の名前の
由来は、やっぱり宮沢賢治の童話「やまなし」だそうです。
しかし、今回は訪れたいずれの日もお店はお休みで、残念ながらコーヒーを
楽しむ事はできませんでした。

この頃は、免疫抑制剤もよく効いていて、体力がないまでもそこそこ順調に
来ているのかな?と思っていたんです。9月の中下旬ころからでしょうか、
ネオーラルを減量していって、ちょっと様子が変わってきました。

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